「グループ炭坑夫」とは?
「グループ炭坑夫」は、炭砿の遺跡や街並みを生かしたまちづくりを提案する市民団体です。
かつて日本の鉱業の原動力となった石炭。私たちが愛する北海道が石炭産業で栄えたことが忘れられつつあります。華やかなころのマチのシンボルが消え、極度の過疎化によってマチが消えようとしています。
しかし、これら炭砿のあったマチには魅力がありました。
この魅力を活かし、まちづくりに活用することにより、過疎に悩む旧産炭地が活力を取り戻すことが私たちの夢です。
主な活動では、炭鉱遺跡をテーマにしたグループ展やメンバー各自の個展を多数開催。テレビ、新聞でも多数紹介されています。"The group coal miner" is citizen group which proposes the town-making which it made use of coal mine excavation for.
Coal was the motive power of the Japanese. It is being forgotten that Hokkaido which we love flourished with the coal industry. The symbol of a town to be gorgeous disappears, and uneasy at the excessive in a town depopulation.
But a town with these coal mlnes was charming.
It makes use of this charm, town-making,and our dream to recover vitality old coal area to be worried about the depopulation.
By the main activities,group-exhibition which made a coal mine excavation a theme,and the private exhibition of member each one, many holds.Even a television a newspaper are introduced to many.
「グループ炭坑夫」略歴
97年春 解体中の夕張清水沢発電所で5人の若者が出会い結成。三井三池の大牟田市制作の産業遺跡マッフの存在を知り、それを取り寄せ、北海道、旧産炭地各町にマップの制作、炭鉱遺産を生かしたまちづくりを要請。道は「空知ヤマの記憶事業」を始める。 98年1月 「もうひとつの夕張」という写真展を夕張市内で開催。新聞等で市外の人に夕張を撮りませんか?と呼びかける。24人が参加。市外の人が感じた夕張を市民に見てもらいまちづくりに役立てようという企画で、4日間500人程が来場。取材HBC、各新聞社。 5月 「いまだから、、、」という写真展を札幌で5ヶ所同じに開催。炭鉱遺産に関心がある人に共に写真展をしませんかと新聞等で呼びかける。22人が参加。
その後、三笠、赤平、上砂川、夕張で開催。三笠では教育委員会、道写協三笠支部が協力。三笠市民の出品数名。赤平では教育委員会、地元写真倶楽部が協力。赤平市民の出品多数。来場者の関心は昔の赤平の写真でした。尚、親松市長も鑑賞に来られました。上砂川では独自の街作りを考える「グループ創夢会」が野外展をする中、旧上砂川駅内で写真を展示。町民の参加3名。 夕張では独自の活動をする「シェーパロ塾」主催の「シェーパロ展」に参加。塾生の協力を得て、展示。99年5月 札幌市写真ライブラリーで「1999若者たちの炭鉱」を開催。「グループ炭坑未」メンバー若手7人が」作品を飾る。取材HBC、HTB、UHB各新聞社。 9月 岩見沢ダイエーで同展を開催。 10月 新札幌サンピアザで同展を開催。 11月 美唄市アルテピアッツア美唄で「そらち、ヤマの記憶コンサート」協力と して同展を開催 00年3月 かでる27で行われた「そらち、ヤマの記憶フォーラム」に協力。同「若者たちの炭鉱」を展示。 5月 解体計画のある赤平市北炭赤間炭鉱選炭場跡で「がんばれ赤平」という写真展と街作りをテーマにしたフォーラムを開催。取材道新、毎日、そらちプレス。また炭鉱遺産解体に反対するチラシを新聞の折り込みにて全戸配布。 6月 夕張市社光、高松地区炭住街解体に反対する「がんばれ夕張」を社光集会所で開催。写真展と元炭鉱マンを招いて、まちづくりのフォーラムを開催。住民も多数参加。取材HBC、道新、読売。また炭住街解体に反対するチラシを折り込みにて全戸配布。 10月 JASの旅行関連会社に協力して「炭鉱遺産ツアー」を開催 11月〜 炭鉱遺産をもっと一般的に広めようと様々な雑誌に働きかける。01年春、ライダーの定番というべき「ツーリングマップ」に炭鉱遺産を5箇所載せることに成功。
ツーリング派の雑誌「ジパングツーリング」に特集15ページ。ライダー向けにホクレンが配布するマップにも掲載。旅行雑誌等でも掲載される。
「グループ炭坑夫」代表で写真家の風間健介個人の仕事で炭鉱遺産を数多く掲載される。
また、多くの人に炭鉱遺産を知ってもらおうと「炭鉱遺産ポストカード」を製作。その売上げで「空知炭鉱遺産マップ」を製作。これは1万部作り、道内各地の宿泊施設、空知管内の温泉、見学施設、道の駅等で無料配付。
以下、風間代表のメッセージ
私達は実際の炭鉱は知りません。
しかし、炭鉱遺跡や炭鉱の街並みに強く心惹かれます。
私達は炭鉱遺跡や昔ながらの街並みを活かした町づくりを提案します。
「グループ炭坑夫」の事務局である夕張在住の写真家風間健介が自宅を旅人に開放していた事があります。ほとんどの旅の若者の目当てはメロンと炭鉱住宅でした。
「何で炭鉱のエエモン壊してショーモナイ観光施設をつくるんや」
流人のわがままな考えと思いますか?
私達は本来の観光を考えました。それは、その土地、その時期でしか見れないものを見る事と思いました。
補助金で観光施設を作っても赤字を作るだけです。
ここ空知には、日本人にとって原風景と言える炭鉱があります。
私達はそれらをもっと活用していくべきと考えます。
遺跡だけでなく、体験型のレジャー等と組み合わせればより効果があると思います。
遺跡は古くて危険というイメージがあります。
しかし、先進国では風化するまま残す方法を多くとっています。
また、ドイツのエッセンでは炭鉱の施設をユネスコの世界文化遺産に登録するよう運動しています。
産業としての炭鉱は終わりましたが、炭鉱はこれからも活用できる素材であります。
最後に1998年6月に行なった写真展「いまだから・・・」に寄せられた映画監督の山田洋次さんのメッセージをここに記します。
『ぼくの映画「家族」は九州の、「幸福の黄色いハンカチ」は夕張の、炭鉱が舞台である。
かつて日本には炭鉱があり、そこに働く人がいて、豊かな文化を残していたことを、もう一度、日本中の人たちに思い出して欲しいと思う。』
炭鉱に興味のある人、「グループ炭坑夫」に参加してください。
連絡先
〒068−0533 夕張市清水沢清湖町 風間健介
TEL/FAX O1235-9−6969
ホームページアドレス
http://www2.to/iseki